生まれも育ちも東京下町ガチガチの江戸っ子がいろいろあって北海道に住みついて45年、
薪ストーブに出会い考え方から生活まで全て変わりました。
気が付いたら平成に入って一度も風邪で医者にかかってません!
お世話した夕日ヶ丘山荘の方々も山荘で風邪を引いた方はいません。
300キロもある鋳物製の薪ストーブから出る遠赤外線が良いのか!
薪を入れる都度室内に少しは出るケムリが良いのか!
もしかして健康にも非常に良いことだとしたら.....
薪ストーブと風邪との因果関係を解明出来たらノーベル賞ものです。
1985年頃自家製の味噌作りの為にゴミステーションから拾って来た鉄板製の薪ストーブで暖かさが忘れられずそのまま地下の倉庫に設置して焚き続けその暖かさと優しさを知りました。
あの日ゴミステーションでの出会いが頑固親父の薪ストーブ生活の始まりでした。 その後数年は秋口になると倉庫が頑固親父の居場所になりました。
(写真の薪ストーブは当時の類似品です。) 2002.06
1993年のある日めったに行かないホームセンターでコイツ(台湾製の鋳物ストーブ)に出会いました。
家内にお願いしてその場で衝動買いして居間に持ち込んだのが長い長いドラマの始まりです。
あの日あの店に行った事で私の生活を此処まで変えることになろうとは..運命です。(台湾製とも知らず最高級品と思い込んでいました、薄い鉄板製なら3000円なのに60.000円もしたのです)
コイツには3年間お世話になりました
(実はストーブに対する無知から二度ほど火事を出すところでした)
1995年自宅が区画整理事業で建て替えをする際に本格的な薪ストーブ生活を開始しました。DutchwestFA285を導入し24回の冬を暖めてくれました(コイツの為に家を建替えたと言うのはウソで区画整理で自宅を建替え直すハメになり、ついでに薪ストーブを主体に設計にしたのがホントです)
DutchwestFA225を設置し10人の高齢者をお預かりし、11回の冬を越しました。
12回の冬を暖めてくれたFA285を引退させ、FA249エンライトを導入。
理由は65歳になり薪ストーブ生活残り10年を見越した時に今が更新の時期と思っただけです。
なごり雪の降る日にダッチウエストFA285は静岡県の富士山の三合目の別荘地に住む方に貰われて片道1300キロの旅にでました。
樹は育ち森となり炭酸ガスを吸収して酸素を供給し、伐採されて木材として役に立ち、解体されてマキとして暖めてくれ、最後は灰となり肥料として土作りに役立つ、樹の一生はいかなる形であろうと自然界で欠かせぬ存在ですネ 。
一時期は林を見ても公園の樹木を見ても、樹という樹が全てマキに見えて困りました
(写真の薪は2台で焚くのでこれで1年分・‘95年頃の薪小屋)
鉄工所の息子で鉄のことしか知らず、北海道に来て木材を知りました。
先ず丈夫な事です。 百年千年単位で考えると日本の建築は全て木造で現存しています。
私が世話になった畜産の世界では、鉄だと10年足らずで腐食してしまいますが、カラマツで作った畜舎は30年たっても、ガンとしています。
木材が素晴らしいのは、50年以上経った住宅の解体材でも、最後はマキとして暖めてくれます。
しかも灰は肥料になるし、ワラビのアク抜きには重曹の比ではありません。そんな古いマキを燃やす時には、いつも炎を見ながら「ありがとう、ご苦労様」と心の中で言っています。
札幌ドーム(我家の近くの羊が丘展望台より)